好き(?)な馬の話 「さ」
サイレンススズカですね。
1994年出生 牡馬
父:サンデーサイレンス 母:ワキア
獲得賞金 約4億6000万円
サイレンススズカと言えば、1998年ごろから武豊さんが騎乗していましたが、1998年の怒涛の勝利ラッシュは今でもすさまじいものがあります。
だからこそ、念願の天皇賞秋でのアクシデントは本当に残念です。(詳しくはwikiなどでご覧ください)
騎手にとって競走馬とはどんな存在なのでしょうか。
単なる職業という見方をされることもあるかもしれませんが、されど職業。
競走馬がいなければ騎手もいないわけで、馬に対してはすべからく愛情がなければ務まらないわけで。。。
職業というものはおそらくそういうものなのでしょう。
さて、逃げ馬としての代表馬がサイレンススズカです。
逃げ馬というと、作戦による駆け引きだったり、性格による先行だったりするのですが、サイレンススズカはその圧倒的な駆動力で他を寄せ付けない、唯我独尊の走りを見せてくれました。
少なくとも、僕が競馬に興味を持ってから、こういう大逃げをぶちかましてくれるような馬はなかなかいません。
もちろん、それこそサイレンスズカの例を受けて、馬に無理をさせることを避ける機運もあります(サイレンススズカが無理を押して走っていたかどうかはわかりません)し、追い込みの方が勝敗や心身の疲労に安定感があるという話を聞いたことがあります。
やはり逃げ馬の方がいろいろな意味で負担が大きいのでしょうか。
奇しくも、最後の天皇賞は僕もテレビで見ました。(生だったかニュースだったかは忘れましたが。。。)
逃げや追い込みなどもまったく知らなかった頃ですが、他の馬を圧倒しながら、サイレンススズカはトップを独走していました。
その後、最終コーナーを回っているときに突然の異変。
サイレンススズカは失速し、レースから外れました。
そしてしばらくして安楽死のニュース。
レース直後のサイレンススズカの表情は忘れられません。
「寂しそうな」というと、いささかチープですね。
何が起こったのか自分でもわからず、猛烈な痛みが走り、みんなに置いていかれる感覚。
「孤独」ということはこういうことなのでしょう。
人間の社会と動物の社会で真逆だと感じるのは、人間の社会で孤独なのは勝者であるのに対し、動物の社会で孤独なのは敗者であるということです。
勝ち急ぐ気性はただただかっこいい。
せめて僕たちは、(それしかできないから)サイレンススズカにエールを送りたいものです。
1998年の金鯱賞のレース動画を貼っておきます。
「気休め」や「駆け引き」や「無駄」や「無為」など、そういう人間社会の(おそらくサイレンススズカからすれば、まったくわけのわからない)理論を吹っ飛ばす、圧巻のレースです!!