「予想」の話

トラックマンがこぞって安田記念の的中馬券を予想する中、僕は「予想」について考えていました。

 

一般的に予想する動物は賢いとされています。

 

たとえば、カラスはごみを散らかしますが、あの行為はけっしてごみの中のものが目当てなのではなく(目当てのこともあるでしょうが)、散らかすことによって、そこにネズミなどが寄ってくるのを少し離れて待っているようです。

また、シャチは集団で波を起こし、氷上に逃げたアザラシを海に落として狩るそうです。

 

これらは「予想」という回路が脳内で働かなければ、けっしてしない行動と言えます。

 

羽根もないのに空を飛ぶなど、その動物が身体の構造上できない行動は絶対にできませんから、自分ができる行動の中でいかに工夫するかが「予想」する動物の特性です。

 

 

もちろんペットや家畜も賢いですが、彼らは「予想」まではいかず、「予感」くらいかもしれません。

ペットの犬で言えば、確かにそそうをすれば怒られるという「予感」が働いていると思いますが、何かを「予想」してトイレの仕方自体を工夫する犬はまずいないでしょう。

 

 

それを言うと人間は他の動物を圧倒する「予想」屋ですね。

 

競馬の「予想」で言えば、自分の行動ではなく、他の人や馬が競争する結果を「予想」して、それに一喜一憂するんですから。とても高度な脳の働きだと思います。

 

競馬ファンは「予想すること自体」を楽しんでいます。

 

このような書き方をすると、まるで「予想」しかしてないように見えますが、そうではありません。

 

予想によって競馬を盛り上げることで、良い調教師や良い騎手や良い馬主をつくり、それが良いレースにつながるんだと思います。

 

予想が外れてばかりの僕が競馬を続けているのは、ひとえに良いレースが観たいからなんでしょうね。